絞って話したい

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絞って話したい


技術論は一休みして、マネージメントに的を絞って話したい。

①部活に何を求めるか。
最近は部活を、息抜きの仲良しクラブととらえる子が少なからず出てきている。特に文化部にその傾向があり、熱心に取り組もうとする子との間に溝ができ、多くの場合「熱心な子」が淘汰されていく。作中の吉川裕也はそのために学校まで代わっている康泰領隊。はるかも、ルリちゃんとケンカするはめになってしまった。最近の高校生は、学校に居場所の無い子も多く、その受け皿としてのクラブを頭から否定はしない。しかし、「演劇部」と看板を張るからには、やはり演劇を創造する集団であるべきだ。看板通りの目的や成果の出せない組織は、最初は仲良しクラブであっても、やがては求心力を失って自壊してしまう。

②現状を把握しよう。
君たちの演劇部は部員が何人居るだろうか。幸いにして十人以上いるクラブならば、それぞれの適性に合わせて、音響や道具の専門の部員を養成してもいいだろうHKUE ENG。そういう幸いなクラブを対象にした技術指導の本は、他にいくらもあるので、そういう本を読んでいただきたい。確実な統計を採ったわけではないが、平均的な演劇部は五人前後であろう。わたしの本は、いままでに延べ百五十あまりのクラブや、劇団で演っていただいた。その本の大半は、キャスト五人以下で、三人というのが売れ筋。最近は一人芝居も演られるところがある。中には「部員が一人になってしまったので……」とお手紙を添えてこられるところもある。

③基本に立ち返ろう。
五人前後のクラブでは、道具や効果、照明に凝ってというわけにはいかない。演劇の三大要素は、〈観客〉〈戯曲〉〈役者〉の三つである。
あとは余技である。今の高校演劇はこの余技に長け、人数的、環境的に恵まれた(私学に多い)クラブの一見豪華、内容空疎な芝居を、コンクールなどで見かけることが多く。審査も、それにおもねる風がある。
かつてわたしの先輩が宇野重吉(寺尾總のお父さん)さんに、こうこぼした。
「うちの県は、文化に理解がなくて、満足に芝居を演れるホールがありません」
「劇場なんかいらんでしょう。その気になれば、お座敷でだって芝居はできます」
そう答えられたそうだ。
わたしの芝居は、ほとんど道具なし、照明は地明かりのまま、どうかすると効果音も役者の声で演らせることもある。
むろん余力があれば「余技」にも凝れるようにはなっている。繰り返しになるが、演劇の三大要素は、さっき述べた三つである。観客は、いい芝居をすれば着いてくる(逆に下手な芝居を演れば離れていく)あとは戯曲と役者である。たくさん本を読もう。ひとの芝居を観よう……って、前の章でも言ったっけ。そしてこの本に書かれているメソードをやってみよう。

④お手伝いさん(兼業部員)について。
かなりの演劇部が、コンクールなどの公演で、部員外のお手伝いさん(兼業部員)にお世話になっている。お手伝いさんに感謝するのはもちろんだが、できたらお手伝いさんに専業部員になってもらえればいい。どうしたらそうなるか?
いい芝居をやれば何人かは部員になってくれる。それほど芝居っておもしろいものである。ただ注意してほしいのは「お手伝いさん」でも、稽古を含め公演に関わっている間は正式の部員である。そういう自覚と認識を持たなければ、今の高校演劇はなりたたない。
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