品物を引き取るしか
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品物を引き取るしか
断って返してしまった。
「なにしろ、私は粗忽《そこつ》者でして。家の中を歩くにも、家具の角や柱に足やら肩やらぶつけてばかりです。こんな凝った文房やらをどこに安置すればよいものやら。うっかりぶつかって床に落として壊してしまったら、もったいない歐亞美創醫學集團。朴念仁《ぼくねんじん》の私には、使い古しの硯やら皆さんが使っている筆で十分です。お心づかいだけはありがたく受け取っておきますので」
実際、官衙に出てきた時の包知事は、自分でいうとおり、ものにはぶつかる筆は落とす、墨はこぼす書類は汚すという粗忽ぶりである。硯にしても、以前、名硯の産地である端州《たんしゅう》に赴任していたにもかかわらず、結局、硯を一面も持たずに離任したという徹底ぶりである。贈った人間も、品物を引き取るしかなかった靈芝 癌症。
最初のこの一件で、即座に開封府の官吏たちは新知事には袖の下が使えないと悟ったにちがいない。同時に、自分たちが賄賂《まいない》を受け取れば処罰が待っていることも。
官吏の報酬の大半は、それぞれの役職についてまわる利権とつけとどけであるといってもいい状況で、賄賂が通じない上司をいただくことは死活問題だ港島補習社。
とはいえ、これは自業自得ともいえることで、懐徳もそのあたりはあまり同情はしていない。
厳しいことは厳しいのだが、包知事の態度は強圧的なものではないし、役人たちは気がついてないものの、けっこう目こぼしもされているのだ。
開封府の知事としての職務の中に、裁判を開きその処罰を言い渡すというものがある。処罰も、棒叩きなど簡単なものであればその場で執行される。
裁判とはいっても、難しい案件はそうそうあるものではない。また、法に照らしてだいたいの量刑を決めたり判決文を書いたりするのは、胥吏や幕僚の仕事である。たまには知事本人が文案を考えることもあるが、この判決文というのは伝統的に故事成句や比喩、暗喩を並べ、文章を練りに練るのが常とあっては、とてもではないが全部ひとりで仕上げていては身がもたない。だから、ただ渡された文書を読みあげていることも多いのだ。
その罪人は、ちょっとした窃盗《せっとう》で捕らわれていた。再犯ではあるが微罪なので、三十回の棒叩きの上で放免、と決していた。初犯なら赦免もあるが、この場合は無罪放免はあり得ないし、数といいどこから見ても至極妥当な判決だった。
ところが、その男は言い渡された回数を聞くや、猛然と抗議しはじめたのだ。
「いくらなんでもあんまりだ。おとなしく罪を認めれば、刑を軽くしてやると言われたのに、この数はなんなんだ。多すぎる、こんなはずではなかった。こんなことになるとわかっていれば、絶対にやりましたなんぞといってないぞ。袖の下を渡さなかったからか、ええ?」云々。
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